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大阪地方裁判所 平成2年(ヨ)2273号 決定 1991年3月25日

申請人 甲野太郎

<ほか一五名>

右申請人ら一六名代理人弁護士 前川宗夫

同 村上幸隆

被申請人 堺市

右代表者市長 幡谷豪男

右被申請人代理人弁護士 俵正市

同 重宗次郎

同 苅野年彦

同 草野功一

同 坂口行洋

同 寺内則雄

同 小川洋一

主文

一  本件申請をいずれも却下する。

二  申請費用は申請人らの負担とする。

理由

第一申請の趣旨

被申請人は、別紙物件目録記載の道路において、現在車道部分が片側三車線九メートル、歩道部分が六メートルとなっている道路につき、車道部分の幅員を縮小し、歩道の幅員を拡大するという形態に変更する道路改造工事をしてはならない。

第二当事者の主張

本件の主要な争点は、被保全権利である本件道路改造工事の差止請求権の発生原因である、申請人らと被申請人との間に、申請人らの同意なくして本件道路改造工事に着工しないとの合意が存在するか否かであるが、申請人らの主張の要旨とそれに対する被申請人の認否及び反論は次のとおりである。

一  申請人らの主張の要旨

1  当事者

申請人らは、別紙物件目録記載の道路を含む南海電鉄高野線堺東駅(以下「堺東駅」という。)から南海電鉄本堺駅(以下「堺駅」という。)に至る約一・五キロメートルの道路の中間に位置する堺市熊野町東及び市之町東地区の右道路沿道において事業を営み、本件道路改造工事計画に反対する住民組織である「大小路会」の構成員である。

2  本件道路改造工事計画の概要

(一) 本件道路改造工事計画は、「大小路線シンボルロード計画」と称され、堺東駅から堺駅に至る約一・五キロメートル(大小路通り)を、単に交通機能の軸だけでなく、堺市の「顔」「統合のゾーン」である都市地区の軸として捉え、人の集まる魅力ある歩行者の道路空間として整備する。具体的には、右の区間において車道を二車線に減らし、歩道を拡大して、歩行者モールにする。

(二) 現在の道路は、幅員三〇メートルで、車道部分が片側三車線九メートル、歩道部分が六メートルとなっている。

計画では、車道部分を片側一車線とし、端から幅九・七五メートルの歩道、幅一・七五メートルの停車帯、幅三メートルの走行車線、幅一メートルの中央分離帯、幅三メートルの走行車線、幅一・七五メートルの停車帯、幅九・七五メートルの歩道という予定になっている。

3  大小路線シンボルロード計画の問題点

(一) 計画自体の問題点

(1) 駐車場の問題

本件道路改造工事が施工されると、自動車を駐停車させる場所がなくなって駐車場が必要となるが、計画では、駐車場の整備が考慮されていない。

(2) 歩道橋の問題

本件道路改造工事区間の東端には歩道橋があるところ、これを残して歩行者のためのモールといえるか疑問である。

(3) 歩行者が歩くのか

計画では全長約一・五キロメートルもあり、歩行者がこのような長距離の歩行者モールを歩くとは思えない。

(4) 本来自動車利用を前提として作られた街であること

本件道路改造工事区間は、本来自動車交通によるアクセスを前提として作られた街である。つまり、その区間の沿道には、ガソリンスタンド、モータープール、自動車販売修理業等の自動車の通行を前提とする業種が存在し、その他でも製麺業、紙器製造業、刃物製造業、建設資材販売業等、歩行者がこの街へ来て歩きながらショッピングすることは到底考えられない業種がほとんどであり、実際右区間沿道にある各店舗にやって来る客は、ほとんどが自動車を利用しているのが現状である。

もし歩行者を前提とする街に造り替えるためには、市街地再開発を含め根本的な街造り計画といったそれなりに周到な配慮と準備が必要となるところ、そのような施策をとらず、単に道路を改造すれば事足りるというような小手先だけの計画では、沿道住民を苦しめるだけで、真の意味の都市計画ではない。

(5) 必要性がない

堺市の「顔」「統合のゾーン」を策定しなければならない理由はなく、また大小路通りをその「顔」「統合のゾーン」としなければならない理由もない。そして、歩道の拡幅と車線の減少が堺市の「顔」「統合のゾーン」とどう結び付くのか全く不明である。歩道を拡大し、車道を減少させるだけで、「人の集まる魅力ある歩行者の道路空間として整備」できると考えていること自体、本件道路改造工事の必要性がないことの証左である。

(二) 計画が実施された場合に予想される影響

(1) 付近全体に与える影響

既に完成している堺東駅から阪神高速道路までの区間における自動車の渋滞、車線上での違法駐車、歩道上においてさえなされている違法駐車、横断歩道における異常な程長い赤信号の時間、車線が減少されたことにより、裏道での自動車の通行量の大幅な増大等の現状をみれば、大小路線シンボルロード計画が失敗であったことは明らかである。

本件道路改造工事区間は、右区間よりも長く、しかも交通量は多い。このような道路において、車線を三分の一に減少させた場合には、道路に非常な渋滞をきたし、またその結果裏道へ自動車が入り込んで、本来住民らが生活道路としている部分にも自動車が多く通行することにより、歩行者の危険が増大することになる。

また自動車の渋滞により、スムーズに流れているときに比べて排気ガスによる自動車公害の発生が今まで以上に深刻になり、何のための歩行者優先、人間優先の大小路線シンボルロード計画なのかが分からなくなる。

現在においても、阪神高速道路の出口での渋滞は目を覆うばかりのひどさであり、本件道路改造工事区間における道路改造工事がなされた場合のひどい状態は、誰の目にも明らかである。

(2) 申請人らの営業に与える影響

申請人らは、前記のとおり別紙物件目録記載の道路の沿道で事業を営むものであるが、もし本件道路改造工事が施工されると、大幅な売上げの減少等が予想され、営業継続が困難となる業種も存在する。

(三) 計画における手続的瑕疵

(1) 非民主的手続き

本件道路改造工事を含む大小路線シンボルロード計画については、沿道住民の意見が反映される機会がないままに進められており、沿道住民の意向が全く無視されている。

(2) 環境アセスメントの欠如

本件計画においては、全く環境アセスメントが実施されていない。すなわち、被申請人は、本件道路改造工事計画がその周辺環境に及ぼす影響の程度・範囲の予想、評価についての分析及びその公表と、住民の意向の打診さえ行っておらず、代替案との比較を行った形跡も全くなく、先行道路改造工事区間における環境破壊についての総合調査をも欠いている。

4  申請人らの反対運動

大小路線シンボルロード計画のうち、既に阪神高速道路から東側(堺東駅寄り)及び大道筋から西側(堺駅寄り)は、既に工事が完了し、全体計画の中で、いわば本件道路改造工事区間が残された形になっている。

本件計画は、前記3のとおり地域の慢性的な交通渋滞を招き、堺市全体の交通を混乱させ、また交通渋滞によって自動車排気ガス公害を悪化させ、沿道住民の営業に多大の影響を与えるなどといった多くの問題点を抱えている。それに加えて手続的にもこういった沿道住民に多大の影響を与える計画について、沿道住民の何らの意見も反映されていないという非民主的な計画の進め方をしている。

以上のような根本的な問題があるため、本件道路改造工事計画を含む全体計画が明るみに出た時点から、沿道住民はそれに反対するために、「大小路会」という組織を作り、結成以来一貫して本件道路改造工事計画の白紙撤回を求めて、署名運動、宣伝活動等の広範な住民運動を展開してきた。

5  本件道路改造工事着工中止の合意

(一) 申請人らを構成員とする大小路会と被申請人は、昭和五九年九月ころから交渉を開始し、同年一〇月四日、当時の被申請人代表者の田中和夫市長が、「地元の同意がなければこの計画を中止する」と明言して以来、昭和六〇年二月二一日の大小路会の代表者と被申請人助役大久保博之との交渉や同年九月一七日の大小路会の代表者と被申請人都市局都市開発部次長河井聖憲との交渉その他大小路会との交渉の際には、被申請人関係者は一貫して申請人らの同意なしには本件道路改造工事をしない旨の意思表示を繰り返し、右田中前市長との合意の存在を確認してきたのであって、申請人らと被申請人との間には、「申請人ら沿道住民が本件道路改造工事に同意するまで着工しない」との合意が存在し、この合意は当事者を法的に拘束するので、申請人らは被申請人に対し、本件道路改造工事に着工しないことを求める権利を有する。

(二) 大小路会と被申請人との交渉における田中前市長等の発言は、単に「関係住民の理解と協力を得るため」の発言ではない。すなわち、そのような趣旨の発言であれば、本件道路改造工事区間の西側部分(堺駅から大道筋まで)だけを本件道路改造工事区間と切り離して工事し、昭和六二年一〇月二二日以後大小路会との交渉を中断するようなことはせず、本件道路改造工事区間を含めて一体として工事をしていたはずであり、本件道路改造工事区間のみを放置したということは、被申請人関係者の発言が単なる住民の理解と協力を得るための発言にとどまるものではなかったことの証左である。

仮に、「地元の同意がなければ工事をしない」という表示された発言の真意が単に関係住民の理解と協力を得るためのものであったとしても、心裡留保(民法九三条本文)であり、その効力は有効である。

また被申請人関係者の発言の趣旨が「申請人らとの話し合いに臨む被申請人側の決意もしくは基本的な考え方を表明した」ものにとどまるものでもない。

(三) 本件合意の趣旨は、地元住民の同意がなければ未来永劫本件道路改造工事はできないものと理解すべきものと考えるが、仮に、本件合意の趣旨が「申請人らと被申請人とが誠意をもって話し合いを継続している間の暫定的な本件道路改造工事の中止義務を定めたもの」と理解されるとしても、現時点では本件道路改造工事は中止されるべきである。すなわち、昭和六二年一〇月二二日から平成元年九月五日までの間、申請人らを含む大小路会と被申請人との間でなんらの交渉もなく中断し、被申請人側から何らの接触も求めようとしないなど、被申請人は、約二年間にわたり全く誠意ある交渉をしてこなかったにもかかわらず、平成元年九月に至り突如として本件道路改造工事の強行を宣言したものであり、また本件計画も沿道住民の意見を聴取して変更することは可能で、かつ、交渉によっては妥協案が成立する可能性もあるので、現時点においても、なお被申請人は、本件道路改造工事を中止して申請人らと誠意をもって話し合いを継続すべき状態にある。

6  保全の必要性

ところが、被申請人は、平成元年九月に至り、前記合意に反し、沿道住民が同意していないにもかかわらず、平成二年度中に本件道路改造工事に着工する旨の通知をなし、右合意を破る姿勢を示しているところ、申請人らは、右合意に基づき、本件道路改造工事差止請求訴訟を提起すべく準備中であるが、このまま放置して本件道路改造工事が行われてしまえば、原状回復もほとんど不可能となるおそれがある。

二  被申請人の申請人ら主張に対する認否及び反論

1  申請人らの主張1(当事者)の事実は不知。

2(一)  同2(一)のうち、「都市地区」と「歩行者モールにする」の部分を除いて認める。「都市地区」ではなく、「都心地区」である。

(二) 同2(二)のうち、「幅九・七五メートルの歩道、幅一・七五メートルの停車帯」の部分を除いて認める。被申請人の最終計画案では、歩道は幅九メートル、停車帯は幅二・五メートルである。

3(一)(1) 同3(一)(1)は否認し、争う。

被申請人は、本件計画との関連において、将来における都心部における公共駐車場をはじめとする総合的な駐車場整備計画を実施すべく検討中である。

(2) 同(2)ないし(5)の主張は争う。

申請人ら主張の「歩道橋」については、これを含む当該交差点の改良も本件計画の目的のひとつであって、快適な歩行や連続的な歩行の観点から、右歩道橋を含め当該交差点の改良等の見直しを行っている。

現況における大小路通りの道路空間及び沿道の状況は、閑散としており、魅力のないものとなっているので、各種事業計画を総合的に整備誘導することにより、賑わいや魅力ある歩行者空間を作り出していく考えである。

(二)(1) 同3(二)(1)は否認し、争う。

(2) 同3(二)(2)の事実は不知。

(三) 同3(三)(1)(2)の各事実は否認し、その主張は争う。

被申請人は、本件計画を進めるに当たり、昭和五七年度及び同五八年度にかけて、「大小路歩行者空間計画」を策定し、この中でアンケート調査を実施した。そして、昭和五九年度からの実施段階では、関係者の意見を反映させる場としての組織作りを行い、大小路線シンボルロード整備推進協議会を頂点に同推進委員会を設け、関係のある各校区連合会長、同商店連合会長、及び同自治会長らを構成員として、協議意見の場を設けてきた。また大小路会の役員や会員とも前後四十数回にわたって協議交渉をしてきた。

また本件計画は、大阪府環境影響評価基準に照らしても、同評価を実施すべき対象事業ではない。

4  同4(申請人らの反対運動)のうち、本件道路改造工事区間が残された形になっていることは認め、その余の事実は否認する。

大道筋から堺駅までの間の工事を実施したのは、堺都市計画都市高速鉄道事業南海電気鉄道南海本線連続立体交差事業の昭和六二年度の完成予定を受けて、同駅を含む同駅周辺の都市基盤整備の熟度が早まり、同駅西側地区においては、堺駅西口地区市街地再開発事業を施行するため、昭和五八年度及び同五九年度にかけて各種調査を実施して昭和六二年度に右事業認可を得るための作業を行ってきた。また同駅東側においては、昭和六一年度から同駅を含む周辺の都市計画道路戎島出島線及び堺駅前交通広場の整備を実施するための作業が進んでいたため、これらと関連する本件道路改造工事区間の西側部分の工事の早期着工が急がれていたからである。

5  同5(工事着工中止の合意)の事実は否認し、その主張は争う。

被申請人側は、昭和六〇年二月二一日及び同年九月一七日に大小路会の代表と協議もしくは交渉をしたことはあるが、昭和五九年一〇月四日に協議もしくは交渉をしたことはない。

本件道路改造工事は、法的には地元住民の合意や同意を必要とするものではないが、実際問題として、その工事の施工中において、日常生活等に影響を与えるような工事を実施する場合には、一般的には事前に関係住民の理解と協力を得て、工事中のトラブルを避ける努力をするのは当然である。従って、被申請人の関係職員が協議上地元の賛成なくして事実上当該事業の達成はありえないとの趣旨の発言をすることがあるが、その趣旨は、地元住民の理解と協力を得なければ、本件道路改造工事を円滑に推進することができないこと或いは同工事完成後においても機能的にその目的を十二分に達しえないことにある。

申請人らを含む大小路会と被申請人との協議もしくは交渉において、主に申請人らから「車道が狭くなることにより、リスクを負う者が出るので、これに対し補償すべきである」との要求がなされ、被申請人は「車道片側一車線と停車帯で交通は捌ける。本件工事では補償はなじまない。影響の大きい業種に対しては個別に相談にのる。」と回答していたのであって、その協議交渉は長期にわたって平行線をたどり、昭和六二年一〇月二二日に至り、当時の大小路会会長戊田秋夫と被申請人都市開発部都心整備課長津田佳介との協議で、右戊田から被申請人に対し、「市は一車線と停車帯は変更できないか。他の妥協案がなければヒアリング等は意味がない。」と言い、かつ、「片側二車線以上の案を持ってこないことには今後協議には応じない。」と発言したので、早期に協議が整う見込みがなかったため、当分の間冷却期間を置こうとしたものであって、被申請人から一方的に大小路会との協議を中断したことはない。

6  同6(保全の必要性)の事実は否認し、その主張は争う。

第三当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実、《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

1  申請人らは、別紙物件目録記載の道路を含む堺東駅から堺駅に至る約一・五キロメートルの道路の中間に位置する堺市熊野町東及び市之町東地区の右道路沿道において事業を営み、大小路線シンボルロード計画による利害に対し、被申請人等に交渉、抗議、その他損害の絶滅のための目的達成と地元の交流発展に寄与する事業を行うことを目的とする住民組織である「大小路会」の構成員である。なお大小路会は、昭和五九年一〇月一日ころ結成され、その規約である「大小路会総則」は同年一一月一日ころ作成された。

2  大小路線シンボルロード計画の概要

(一) 被申請人は、昭和五七年度において、「調和と風格のある都市づくり」の基本理念のもとに、堺市内でもっとも都市機能の集積の高い堺東駅と堺駅を中心とする周辺地域を都心として位置づけ、大都市にふさわしい魅力ある堺市の「顔」「統合」のゾーンとして再生し、国際化情報化といった予見的社会潮流に対応しつつ、大阪都市圏における拠点都市としての役割にふさわしい都心の形成が主要課題とする総合計画を策定した。すなわち、被申請人は、特に大小路通りが右両駅を起終点とし、都心の中心軸としての位置にあることを踏まえ、大小路通りを安らぎ・憩う・魅力ある道路空間として整備することにより、都心地区の活性化を図り、求心力のある都市空間を形成する目的をもって、昭和五七、五八年度において、大小路歩行者空間計画調査研究を行った。また昭和五八年度に大小路通り約一・五キロメートルをAないしFの区間に分け、整備する大小路線シンボルロード整備基本設計を策定した。そして、昭和五九年度新規に制度化された建設省都市局街路課所管のシンボルロード整備事業として採択を受けた。

(二) そこで、被申請人は、昭和五九年度からモデル区間として大阪和泉泉南線から大小路橋交差点までの約三〇〇メートルのA区間につき整備事業の施工を開始し、昭和六二年度に完成した。その後、昭和六二年度から平成元年度の三か年で第二期工事として戎島出島線から大道筋までの約四五〇メートルのE・F区間を完成した。そして、平成二年一一月から平成七年度の六か年で第三期工事として大道筋から大小路橋交差点までのB・C・D区間約七五〇メートルを施工する計画である。

(三) BないしD区間についての具体的工事内容は、現在の道路につき、その幅員三〇メートルで、車道部分が片側三車線九メートル、歩道部分が片側六メートルとなっているところ、本件計画では、車道部分を片側一車線のみとし、端から幅九メートルの歩道、幅二・五メートルの停車帯、幅三メートルの走行車線、幅一メートルの中央分離帯、幅三メートルの走行車線、幅二・五メートルの停車帯、幅九メートルの歩道にするという予定になっている。

3  なお、本件計画策定にあたっては、被申請人は、昭和五八年九月に沿道地区関係者及び一般市民(全市・都心地区に区分)約三六〇〇名を対象に都心地区街造り(大小路線プロムナード整備について)に関するアンケート調査を行い、一四八三名から有効回収をした。それによると、大小路線プロムナード整備の必要性を感じているものが、沿道地区で八二・九パーセント、沿道地区以外で八三・八パーセントであった。

また被申請人は、昭和五九年度からの本件計画実施段階では、関係者の意見を反映させる場としての組織作りを行い、大小路線シンボルロード整備推進協議会を頂点に同推進委員会、大小路デザイン専門委員会等を設け、関係のある各校区連合会長、同商店連合会長、及び同自治会会長らを構成委員として、協議・意見の場を設けてきた。なお、大小路会の構成員は、右推進協議会及び各種委員会の構成委員には選任されていない。

4  被申請人と大小路会との交渉経過

被申請人河井聖憲都心整備室長は、昭和五九年九月一〇日、熊野小学校講堂において、熊野校区住民約一五〇名に対し、また同月二四日には熊野地域会館において、市之町東自治会住民約四〇名に対し、それぞれ大小路シンボルロード計画調査研究報告概要に基づき本件計画の概要を説明した。そのころ、申請人らは、大小路会を結成し、後記のとおりその代表が同年一〇月四日ころ、被申請人の代表者田中和夫前市長と協議をした。そして、右河井都心整備室長は、昭和五九年一一月一三日、戊田秋夫大小路会前会長から大小路会総則(会則)及び大小路会会員名簿を受領し、また同年一一月一六日、大小路会役員に対し、右計画調査研究報告概要に基づき、大小路線沿道地区の将来ビジョン、昭和五八年八月に実施したアンケート調査結果の内容等を説明した。これに対し、右役員からは、本件計画事業の施行により人を集めることができるのか、また人を集めるためにどのような施設を考えているのか、当該地域は車の利用者相手の商売が多いため、車線を狭めて交通量が減れば売上が落ちて生活ができなくなるが、この場合土地の買取や生活権の補償をしてもらえるかなどの質問や要望がなされた。さらに同月二七日には、右河井都心整備室長が大小路会会員に対し、同様の説明をし、これに対し、会員から一六日と同様の質問がなされた。

そして、大小路会役員は、後記のとおり昭和六〇年二月二一日、織田恭利堺市議会議員の紹介で被申請人助役大久保博之と協議し、その後も昭和六〇年四月二五日以降昭和六二年一〇月二二日まで、大小路会の代表者と被申請人側担当者との間で協議がなされ、今後の本件計画事業の説明、本件計画事業によって被害を受ける者の移転・補償問題、車線減少計画の変更の可能性、地元住民の意見を本件計画に反映させる方法、アンケート調査等に関し協議がなされた。

その後大小路会と被申請人との間の交渉協議は中断していたが、平成元年九月に至って、被申請人は、D区間の沿道権利者に対する個別ヒアリングを実施し、また同月二九日から大小路会と被申請人との間の協議が再開され、主に車線の数や停車帯の幅員、ラッパ口の幅等に関し本件計画の変更が可能か否かについて協議がなされたが、交渉は決着せず、申請人らは本件仮処分申請に及んだものである。

二  そこで、申請人らは、被申請人に対する本件道路改造工事差止請求権の発生原因として、昭和五九年一〇月四日、申請人らを構成員とする大小路会と被申請人代表者であった田中和夫前市長との間で「地元住民の同意がなければ本件道路改造工事に着工しない」旨の合意が成立したと主張し、また仮にその合意の趣旨が右のようなものでないとしても、少なくとも申請人らと被申請人とが誠意をもって話し合いを継続している間は暫定的に本件道路改造工事を中止する旨の合意が成立したと主張するので、以下それらの合意の存否について判断する。

1  まず、申請人らが、被申請人との間で合意が成立したとする昭和五九年一〇月四日の協議について検討する。

(一) 同日の協議の内容は、申請人の一人である阪口勝が録音し、保管していたテープをもとに、その一部を反訳したものが甲第二八一号証として提出され、さらに右テープをダビングして被申請人に交付され、それを反訳したものが乙第一八号証の二として提出されている。

なお乙第一八号証の二では、協議の内容が重複しているところがあり、ダビング等に疑問があるが、乙第一八号証の二が当日の協議の内容を記述しているものと認めて、以下同号証の二に基づき検討する。

(二) 乙第一八号証の二によると、田中前市長との間で協議がなされた日付は明らかでないが、出席者の発言に照らし、昭和五九年九月一〇日及び同月二四日の説明の後に持たれた協議と認められ、また右協議には、被申請人側から田中前市長、顕谷都市整備部長、大小路会側から大小路会会長の戊田秋夫、申請人甲野太郎、申請人丁原油業株式会社代表者代表取締役の丁原夏夫、甲山冬夫、亡乙山春夫、乙川市議会議員が出席し、発言していることが認められる。

(三) 協議においては、主に、大小路会側から、本件計画に反対ではなく推進でよいが、地元の住民には本件計画の内容が知らされておらず、また地元住民の代表者が推進協議会にも入っておらず、その推進協議会の構成委員にも疑問があるなど、本件計画に対する不安があるとともに、直接の影響がある沿道住民の意見等が反映されていないので、地元住民と被申請人との話合の機関を設置して欲しいし、その機関として大小路会にして欲しい旨の強い要望がなされた。

これに対し、被申請人側の田中前市長や顕谷都市整備部長は、本件計画の基本について、大小路会から代表者を推進協議会に出してもらって合意を得たうえ、個別的問題については沿道住民の意見を取り入れるようにしたい旨の発言をしたが、当日の協議では地元住民の意見を反映させる方法についての結論はまとまらなかった。

(四) そこで、申請人らの合意のあったと指摘する田中前市長の発言を検討するに、田中前市長の発言は、右のとおり地元住民の意見を反映させる機関の設置に関する交渉の中での発言であって、「それは市の方も、あのー我々考えておることはもう絶対でこれがもうそのまま市のためになるんだというそんな思い上がりはありませんしね。あのーさっき言いましたように、じゃ、こんなことよりは今のままでよろしいと、こういう事であれば市はそれはそれでいいんですよ。」の発言であるが、これは、大小路会前会長の戊田秋夫が住民の意見を反映させることが一番の根本問題であるとの発言に対する回答である。そして、右田中前市長の発言の後、戊田が「今のままでよかったら、我々こうして出て来るわけはないでしょ。」と言い、住民の意見を反映させる機関を設置して計画に取り入れてもらわないと前進しないと思う旨の発言が続いている。その後で、田中前市長が「あのー私は先程、こうこう全体の、このゾーンのことで言いましたけども、沿道の方の協力がなければそんなことは前へ進むわけないですよね。当然、ただそういう意見を出していただくしくみがこういう具合になるねん、いうことがま、まず一番基本だろうと思いますが、それはそれでいいわけですね。であー、できるだけ皆さんのご協力を得るように汲みとってますけども」と発言している。

(五) 以上の各発言をみると、田中前市長の発言は、戊田秋夫の住民の意見を反映させる機関を設置して欲しいという要望に対する回答であって、住民の同意があるまで本件道路改造工事を中止して欲しいという申入れがあって、これに対する回答というものではない。そして、田中前市長の、沿道の協力がなければ前に進まない旨の発言も、当日の交渉内容に照らし、地元住民の意思を無視し、地元住民の理解と協力を得ることなくして円滑な本件計画の推進はできないといった基本的な考えを述べたにすぎないものと理解される。

従って、右田中発言をもって、申請人らを含む大小路会と被申請人との間に、地元住民の同意があるまで本件道路改造工事に着工しない旨の合意が成立したとか、或いは大小路会と被申請人側とが誠意をもって話し合いを継続している間は暫定的に本件道路改造工事を中止する旨の合意が成立したと認めることはできない。

申請人らは、田中前市長が「地元の同意がなければこの計画を中止する」と明言したと主張するが、甲第二八一号証及び乙第一八号証の二から右事実を認めることはできない。

2  次に、申請人らは、昭和六〇年二月二一日の協議において、被申請人の大久保博之助役も地元の同意なしには本件道路改造工事をしない旨の発言をして、昭和五九年一〇月四日の田中前市長との合意の存在を確認したと主張するので、以下検討する。

(一) 昭和六〇年二月二一日の協議の内容も、申請人甲野太郎が録音して保管していたテープをもとに、申請人らによってその一部を反訳したものが甲第二八四号証として提出され、また右テープをダビングして被申請人に交付され、それを反訳したものが乙第一九号証の二として提出されている。

ところで、乙第一九号証の二は、ダビングテープをそのまま反訳されたものであるが、その中には、昭和五九年一〇月四日の協議の内容も含まれており、かつ、会話の順序も前後しているので《証拠説明省略》、その正確性に疑問がないではないが、他に昭和六〇年二月二一日の協議の内容を検討する方法がないので、以下乙第一九号証の二に基づいて検討することとする。

(二) 乙第一九号証の二によると、当日の協議には、被申請人側から大久保博之助役、顕谷都市整備課長、大小路会側から戊田秋夫、丁原夏夫、亡乙山春夫、申請人丙川自転車商会代表者代表取締役の丙川一郎、乙川市議会議員が出席し、発言がなされた。

当日の交渉においては、大小路会側は、本件計画により商売が成り立たなくなるおそれがあるので、その補償はどうなるのかといった質問が出され、これに対し、被申請人側は、本件計画が、公共事業の性格上受忍限度の範囲内であって、補償の対象にならないと回答した後、大久保助役が「私達基本的にはね、地元合意やな、ということは基本と考えております。そこで、あの大小路会が結成されました時に、御趣旨もお聞きしましたけれども、――(以下趣旨不明)――もちろん地元の沿道の方々、また学識経験者の方にも集まっていただきまして、民意を反映するという意味におきましてね、委員会組織がございますんで、そういう組織の他にですねまた大小路会があるということになりまして、こう、二つあるということは私達にとりましても非常に事業執行上、また運営上、支障をきたしておるというのが現実でございますんで、あの大小路の代表の方がですね、それぞれ委員会組織の中にですね、ひとつあの加わって頂きまして、地元のご意見としては、こやと、大小路会としてはこやと、というふうな御意見をですね、そういうな大勢の中で発表して頂いて、そして、まあ皆のお知恵を借りながらね、ひとつ解決できるものは解決していくと、で辛抱していただけるのは辛抱して頂くというふうなことでね、その委員会の中に入って頂きたいなと、一番最近思っております。」と発言し、その後交通量の調査に触れ、さらに「こちらがだいたい六二年、六一年にだいたい終わりまして、六二年から大小路の方へいく訳でございますけども、あの、私は、今の気持ちでは、あの、皆さんが合意が、話がまとまらなかったら、手つけられないと思います。で、昭和六〇年位からいろんな調査をして、皆さんにご説明して、そして、六〇年代のなかで話がまとまったら、六一年、設計上のことをお話をしてですね、進めていくんですけども、まあ来年度は、峠やと思いますんで、ひとつあの、今申し上げましたような進め方の中で皆さん方のほうでもですね、ご説明さして頂いて、あの、ある結論を得て、その結論によって、あの、こちら終わりましたら、次の計画前へ進めたいと、投げる訳にはいきませんのでね。」と言って今後の予定を述べている。そして、亡乙山春夫が推進協議会を作る時に推進派の者ばかりで構成し、一番影響を受ける者の意見を聞こうとしなかったのに、今になって推進協議会に入ってくれと言われても入れない趣旨の発言をしたことに対し、大久保助役が「私、冒頭申し上げたのはね、地元の合意がね、必要でございます。そして、いろいろ御批判はあってもね、一つ私の方でこう考えてるんやから、そう中へ入ってですね、いろいろなご意見をその場でいってくれ、ということでね」と言って推進協議会に参加して意見を述べてもらいたい旨の要請をしているのである。

(三) 右のとおり大久保助役の発言は、当日の交渉の流れに照らし、本件計画を推進するにあたって地元住民の意見を無視することはできないので、大小路会も代表者を出してもらって推進協議会で意見を述べてもらい、合意を得たうえ、本件計画を進めたいという意向を示したものであって、大小路会からの本件道路改造工事着工中止の申入れに対し、被申請人側が地元住民の同意を得るまで本件道路改造工事をしないと回答したものではない。むしろ、右大久保助役の発言は、当日の顕谷都市整備部長の「あの道を無理おし強引にやったところでですね、沿道の方が本当に協力と理解して、協力していただけなんだらですね、本当に無意味な上申です。」という発言からしても、住民の理解と協力を求めた発言であったと解すべきである。

従って、右大久保助役の発言をもって、申請人ら地元住民の同意なしには本件道路改造工事をしない旨の意思表示をして、昭和五九年一〇月四日の田中前市長との本件道路改造工事着工中止の合意を確認したとか、或いは大小路会と被申請人側とが誠実に話し合いを継続している間は本件道路改造工事を中止する旨の意思表示をし、その合意を確認したと認めることはできない。

3  さらに申請人らは、昭和六〇年九月一七日の協議において、被申請人側の河井聖憲都市開発部次長が申請人らの同意なくして本件道路改造工事をしない旨の意思表示をして、昭和五九年一〇月四日の田中前市長との合意を確認したと主張するので検討する。

(一) 昭和六〇年九月一七日の協議についても、申請人甲野太郎が録音して保管していたテープをもとに、申請人らがその一部を反訳して提出したものが甲第二八六号証であり、また申請人らから右テープをダビングして被申請人に交付され、それを全部反訳して提出されたものが乙第二〇号証の二である《証拠説明省略》。

なお、乙第二〇号証の二は、ダビングテープをそのまま反訳されたものであるが、その内容に照らし、イないしチ頁までが会合の冒頭部分で、1ないし45頁がそれに続く部分と思われ、その正確性に疑問がないではないが、当日の協議の内容を検討するにあたって、他に資料がないので、以下乙第二〇号証の二に基づき検討する。

(二) 昭和六〇年九月一七日は、被申請人側から河井聖憲都市開発部次長、辰奥都心整備課長、大小路会側から申請人ら代理人である前川宗夫弁護士、丁原夏夫、亡乙山春夫、丙川一郎が出席し、発言している。

当日の協議においては、まず前川弁護士が大小路会から昭和六〇年八月一五日に被申請人に交付された抗議文(甲第三号証、乙第四号証)に対する回答を求めたのに対し、被申請人側は、本件計画事業の進捗内容を説明し、簡単な回答(ラッパ口と再開発の問題)がなされた。その後大小路会側から、車線を二車線に減少させる計画は変更可能か否か、もし変更ができなければそれによる営業上の不利益は補償されるのかといった質問がなされた。それに対し、河井都市開発部次長が交通量としては、二車線と停車帯で捌けるという考え方をもっているが、「遮二無二に市の方でですね、事業化していくんだというようなご心配はですね、まあ、ご指摘があった訳です。我々としてはですね、まあ、そういったですね、手法手段ていうんですか、話合いもせずにですね、まあ、即事業化していくというようなことは今の段階では考えてません。ですから、我々もこの事業を成功させたいと思ってますし、この事業が色々街の将来のためにですね、有効な手段であろうというふうに考えております。ですから、この整備事業ですね、街が逼塞するとか、大変なことになるということをですね、ごり押しでですね、進めて行くというような気持ちは勿論ない訳です。ですから、ご心配のようにですね、ものすごい被害があってですね、街がひっくり返ってしまうと、まあいうようなことはですね、我々としては避けなければならない。いうふうに考えておりますので、まあ、今すぐですね、まあ、この区間をですね、計画どおり整備するということは今の段階では考えておりません。」と述べ、さらに今後いろんな調査をし、また大小路会の意見も聞いて一緒に街造りをしたいという考え方であると言った後、「相対抗してですね、どないしてもするんやとか、そういう考え方は我々一切持っておりません」と発言した。その後丁原夏夫が、二車線と停車帯にすれば事業が成り立たないという切実な問題を抱えている人もいるが、この人達との話し合いはどうなるのかという質問に対し、河井都市開発部次長が「我々もね、一年二年でこれ解決しようということですね、考えてません」と言い、直接的な被害ということに対しては、移転や損害補償などもあり、大小路会の考えも聞き、被申請人側も対応できる策を考えたいと述べた後、「先程も説明さしてもらいましたように来年から即ですね、遮二無二やっていくというような考え方は持ってないと。」と発言した。

その後駐車の問題、車線を減少させて歩道を拡幅することの必要性の問題について議論がなされている。

(三) 右の河井都市開発部次長の発言は、たとえ甲第三号証、乙第四号証の抗議文(計画推進の即時中止の要求)に対する回答であるとしても、交渉の流れに照らし、沿道住民の同意が得られるまで本件道路改造工事の着工を中止するというものではなく、むしろ、事業を成功させるためには沿道住民と一緒に街造りをする必要があり、沿道住民の意見を無視してすぐに本件事業を進めることはしないというもので、沿道住民の意見を反映させて本件計画事業を推進したいという基本的な考え方を述べたものと理解されるのである。

従って、右河井発言をもって、申請人らの同意なくして本件道路改造工事をしない旨の意思表示をして、昭和五九年一〇月四日の田中前市長との合意を確認したとか、或いは大小路会と被申請人側とが誠意をもって話し合いを継続している間は本件道路改造工事を中止する旨の意思表示をしてその旨の合意を確認したと認めることはできない。

(四) なお甲第三号証、乙第四号証の抗議文には、昭和五九年一〇月四日の合意については触れられておらず、むしろその第五項で、「当会は貴庁の『大小路シンボルロード計画』に対し、断固反対し、計画推進の即時中止を要求するものであります」と述べており、もし、それ以前に合意が成立しておれば、その違反が指摘されているはずであるのに、その指摘がなされていないので、少なくともそれ以前に合意が成立していなかったことの証左となる。

4  申請人は、昭和五九年一〇月四日以後の右以外の協議においても、被申請人関係者が申請人らの同意なくして本件道路改造工事をしない旨の意思表示をして、田中前市長との合意の存在を確認していると主張するので、以下検討する。

(一) 大小路会との協議の経過を記載した《証拠省略》によると、昭和六〇年四月二五日の協議では、大小路会から「市は反対を押して事業を推進するのか、また地元の意見を取り入れて計画案の変更はできるのか」と質問したのに対し、被申請人側は、「地元が反対のまま事業はできないと考えている。今後も地元の意見を聞きながら進めたい。」と回答している。また同年九月二八日の協議では、大小路会から「地元の賛成がなければ事業はできないとのことであるが、事実上できないのか、中止または撤回せざるを得ないということか。」という質問がなされ、これに対し、被申請人側は、「基本的には本計画案で進めたい。計画の変更は考えられない。法的にはできないことはないと思うが、地元の皆さんの了解を得なければ、事業はできないと思う。工事を施工するについては、地元の意見というか賛同を得られなければ工事そのものができない。賛同の得られない部分については、あくまで努力していきたい。」と回答している。さらに昭和六一年八月二二日の協議では、被申請人側から今後の本件計画のスケジュールとして、公共下水道や堺駅前広場等の他の事業の関係から、堺駅から大道筋までを今後三年間で施工し、その後大道筋から阪神高速までの区間を施工する計画である旨説明し、かつ、大小路線全線をシンボルロードとして整備する計画であるが、地元の賛同が得られなければ工事にはかかれないと回答し、また同年一〇月六日の協議では被申請人側は、大道筋から阪神高速までの区間(B・C・D区間)は、昭和六五年から施工できるように、大小路会との話し合いを行っていくと回答している。

(二) 以上、申請人らを含む大小路会と被申請人との協議の経過に照らすと、その協議における被申請人関係者の「地元の賛同がなければ工事ができない」という発言は、地元の同意がなくとも本件計画を法的に推進することはできるが、地元の賛同がないと、本件計画に基づく円滑な工事の推進ができないうえ、本件計画の目的も達せられないので、地元住民と話し合ってできるだけ理解と協力を得たいという趣旨に解されるべきである。

従って、右で検討した被申請人関係者の発言をもって、被申請人関係者が、地元住民の同意なくして本件道路改造工事をしない旨の意思表示をして、昭和五九年一〇月四日の田中前市長との合意の存在を確認したとか、或いは大小路会と被申請人側とが誠意をもって話し合っている間は本件道路改造工事をしないと意思表示をして、その旨の合意の存在を確認したと認めることはできない。

5  申請人らは、大小路会と被申請人との協議における被申請人関係者の発言が、単なる「関係住民の理解と協力を得るための発言」であれば、被申請人が、昭和六二年度から本件工事区間(B・C・D区間)の西側部分(E・F区間)を本件工事区間と切り離して工事をし、昭和六二年一〇月二二日以後大小路会との交渉を中断するようなことはせず、本件工事区間を含め一体として工事をしていたはずであり、本件工事区間のみを放置したということは、被申請人関係者の発言が単なる理解と協力を得るための発言にとどまるものではなかったことの証左であると主張するので、以下検討する。

なるほど、《証拠省略》によると、昭和六〇年二月二一日の協議において、被申請人の大久保助役は、昭和六二年度から本件工事区間の大小路通りの工事に着工したい旨の意向を示しているものの、《証拠省略》によると、昭和六一年八月二二日の大小路会と被申請人との協議では、被申請人側は、公共下水道や堺駅前広場等の他の事業の関係から、堺駅から大道筋までの区間(E・F区間)を今後三年間で施行し、その後昭和六五年以降大道筋から阪神高速までの区間(BないしD区間)を施工する計画である旨説明していることが認められ(なお、審尋の全趣旨によると、被申請人は、堺都市計画都市高速鉄道事業南海電気鉄道南海本線連続立体交差事業の昭和六二年度の完成予定を受け、堺駅を含む同駅周辺の都市基盤整備の熟度が早まり、同駅西側地区においては、堺駅西口地区市街地再開発事業を施行するため、昭和六二年度にその事業認可を得るための作業が行われていたのであり、また同駅東側においては、昭和六一年度から同駅を含む周辺の都市計画道路戎島出島線及び堺駅前交通広場の整備を実施するための作業が進んでいたため、これらと関連するE・F区間の工事の早期着工が急がれていたことが認められる。)、これに照らすと、遅くとも昭和六一年八月二二日当時においては、他の事業との関係で、堺駅から大道筋の区間の工事を早期に施工する必要があったということができる。そして、被申請人も、地元住民の同意を得ないで本件道路改造工事を強行しても、その円滑な遂行ができず、かつ、本件計画の目的も達成できないので、できるだけ地元住民との話し合いを続けようと基本的に考えていたことは前述のとおりであるから、大道筋から阪神高速までの本件工事区間の工事の施工を昭和六五年度まで延ばし、その間に大小路会との交渉を続けようとしたものと解される。

また被申請人と大小路会との協議が中断したのは、前記のとおり昭和六二年一〇月二二日以降であり、それは、右のとおり本件工事区間を昭和六五年度以降に施工すると決定した後である。また協議が中断された理由も、審尋の全趣旨によると、被申請人と大小路会との間で、話し合いが平行線をたどり、早期に妥結する見込みがなかったので、被申請人側がしばらく冷却期間を置きたいと考えた結果であり、被申請人側が理由もなく、一方的に協議を中断したということはできない。

従って、被申請人が、大小路会との協議を中断し、堺駅から大道筋までの区間の工事を、本件工事区間から切り離して施工したことをもって、被申請人と大小路会との間に「地元住民の同意なくして本件道路改造工事に着工しない」とか、両者が誠意をもって話し合いを継続している間は本件道路改造工事をしないといった合意が存在したということはできないので、申請人らの右主張も採用しない。

6  なお申請人らは、仮に被申請人関係者の「地元の同意がなければ工事をしない」という表示された発言の真意が単に関係住民の理解と協力を得るためのものであったとしても、心裡留保(民法九三条本文)であって、その効力は有効であると主張するので検討するに、前記のとおり、被申請人関係者が、地元住民の同意がなければ本件道路改造工事はできないと発言したことはあるが、その発言については、意思解釈の方法として各協議の流れの中で理解されるべきであるところ、これまでに検討したように、右の発言をもって、被申請人関係者において「地元住民の同意がなければ本件道路改造工事をしない」旨の意思表示をしたと認めることはできないので、表示された意思と真意との間に不一致はなく、心裡留保ではないというべきであり、従って、申請人らの右主張も理由がない。

7  そうすると、他に申請人らが主張する合意の存在を認めるに足る証拠はないので、申請人らが主張する申請人らと被申請人との間に「地元住民の同意がなければ本件道路改造工事に着工しない」旨の合意ないし「両者が誠意をもって話し合いを継続している間は本件道路改造工事を中止する」旨の合意が存在するという事実を認めることはできない。

三  以上によれば、申請人らの本件仮処分申請は、被保全権利についての疎明がなく、これに代えて保証を立てさせることも相当ではないので、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これらを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 大段亨)

<以下省略>

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